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成功する30代失敗する30代 第48回 富野由悠季

30代に築き上げた仕事の原則はいまも変わらず
 二十五歳のとき、手塚治虫先生が設立した虫プロを退社した。学生時代から希望していたのは、実写映画の仕事。虫プロでのアニメの仕事も、実写映画と同じフィルムをいじる仕事だったが、アニメ好き同士がしのぎを削る仕事場では、演出家としては自分の才能に限界を感じてしまった。自分には何ができるのか、自分の適性は何なのか、考え続けた。
 それからフリーランスとして、様々なプロダクション作品にかかわったのは、好きなものだけやっていたら、自分の務限定されてしまうと考えたから……。アニメの仕事も、それ以外の仕事も、あえて苦手な仕事ほど精力的にこなしていった。
 三十歳のとき、手塚先生の『青いトリトン』をTVアニメ化する仕事が舞い込んだ。絵をどのように配列してストーリーを構成するかが、視聴者にとっては最重要。そう考えた僕は、「手塚先生の原則を変えるべきでない」と反発する声を押し切って、原作の『青いトリトン』をすべて書き直した。
 出来上がった『トリトン』のファンの集いが開かれたのは、1年半後。その時、千人を超えるお客さんと間近に接し、テレビの受像機の裏に、これだけの生身の人間がいるのかと実感した。人間形成のいちばん重要な時期に、正面切って作品を見てくれる人がいる……。そう考えると、やはりつくり手が、自分の好きなものを自分勝手に使ってはいけない。あくまでも、子供に見せる物語は何かという原則に忠実に従おう。そう決心した。
 三作目で巨大ロボットものをやる話が来たときも、その原則は変えなかった。スポンサーの意向や視聴率など、様々な圧力がかかるなか、視聴者が求める人間とロボットの関係は何か、それを突きつめて劇空間のなかに位置づけたのが『ガンダム』である。
 思えば三十代は、そうした原則を、自分の中で意識的に築き上げた時期だった。時代下が変わっても、環境が変わっても、原則を変えない限り、視聴者が本当に求めているものを創り出せる。どんな仕事であろうと、そうした原則を己で発見できるかどかが勝負を決めると、いまでも信じている。

『THE21』 2005年12月号(No.253) 112p.

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