わが子がアキバ系。いつまで静観してもよいか
映像監督・作家 富野由悠季
1941年神奈川県生まれ。
日本大学芸術学部卒業後、虫プロ勤務を経て、フリーの演出家。
「機動戦士ガンダム」などテレビ、映画作品を監督。
小説家、作詞家としても活躍。
それが美しいが、無様でないか、が問題
アキバ系のことなど何も知りませんね。メディアが面白がってもてはやしているだけでしょう。アキバ系として括りにするのは乱暴な話で、レッテルを貼ることで、わが子のことをますます見えなくしてしまっていると感じます。
子どものそれぞれの趣味は、その子にとって特異な感性の表れかもしれないのです。今流に言うと、アイデンティティーを構築しようとする過程だろうから、そういう努力をしている行為を不安がる必要はないと思います。
アキバ系に限らず、理解できないわが子を前にしてオロオロしてしまうのは、人の趣味というものへの想像力が欠如しているからだとも感じる。
どんな時代にも数寄者というのはいたわけだし、誰でも他人には知られたくない趣味嗜好を持っているは当たり前のことだと思う。
問題はその趣味がいいか悪いか、その趣味の表れかたが美しいかどうか、無様でないか、という点にしかありません。
趣味というのは、秘密裏に浸るもので、アキバ系の子らがメディアで取り上げられるから、自分たちの趣味性を露出させていいと勘違いしていたとしたら、その無神経さに人としての問題がある。本当の趣味人は、自分の趣味をよほどのことがなければ公表しないものです。極端な例をあげると、僕が真正のロリコンだとすれば、素敵なのお人形のおパンツを買おうというときに、絶対に他人には知られたくないし、特注するかもしれません。
趣味は自分のなかで規制するという身だしのみのよさを持たなければならないし、それは大人になるということでもある。
しかし、今の子供達は無作法は、大人たちに原因がある。そもそも、子供達の趣味を口に出す前に、親こそが自分たちの姿を顧みなくてはいけない時代のです。
躾という字は体が美しくなると書きます。ところが戦後、姿が美しいか美しくないかという価値基準が決定的に崩壊して、ミニスカートやジーンズを考えもなしに受け入れたことを問題にすべきでしょう。
かつて、日本列島には、この風土のなかで住んできた人が数千年かけて作り上げてきた衣食住の文化論があった。しかし、第二次世界大戦敗戦のショックで、痴呆状態になった人たちは、ビートルズに熱狂しミニスカートを競ってはくようになってしまいました。風土に合うのか考えずに高層マンションを乱造し、食べ物もまたしかりでしょう。
いま表れている問題の多くは、この価値基準の崩壊と思考停止によるものなのだから、再び日本列島の風土という基準に立ち戻らなくてはならないと感じている。
風土という拠り所を持ち、1000年のスパンで考えれば、自分たちが理解できないからと言って子ども達の趣味を簡単に断罪できないはずです。
コスプレやゴシック調のとんでもない衣装で歩く女の子がいたとしましょう。その格好は日本列島に住むものとして、美しいのか、似合っているか。大人が言うべきことは、「それバッチイぞ」とか、「キレイだね」ということです。
アキバ系とかフィギュアとかコスプレが全部ダメという簡単な話ではなく、風土を基準に、趣味、文化をつくりあげる訓練をあと100年続けていけば、少しは世界に誇れるようなものができるのでないかと思います。
アキバ系の子供が気持ち悪いかからどうしたら良いかという各論は、本来想像力を働かせれば答えが見えてくるはずなので、僕は日本列島で暮らしてきた人々の感性を信じています。
→わが子を前にオロオロするのは、親の想像力欠如
「全予測 働き方、生き方、稼ぎ方 PART2家庭篇『安心して暮らす』ための全課題16」『PRESIDENT』2006年1月30日号(44巻3号) 78p.
※「オタク人口は延べ172万人」というグラフは割愛。