アニメ文化を読み解く第2回 ガンダムに集約 日本アニメ文化の特徴
三越カルチャーサロンで開催された氷川竜介氏による講座「アニメ文化を読み解く」の第2回。
出版関係とのかかわりについての話を聞きたかったのだが、ほとんどなかったのは残念。
講義の概要
・ガンダムは、アニメ発のクリエイターによる同時代的ヒットを飛ばした初の作品。再放送でヒットしたかのように受け取られているが、本放送の時からアニメ誌の誌面を飾るなどして注目は集めている。(1)
・大河原氏のザクのデザインは、実はタイムボカンシリーズのやられメカのデザインからきているのではないか。それらしい記号が入っているように見える。
・設定主義の走りは「ジャングル大帝」。原作では背景が白くてもアニメの画面はそういうわけには行かない。そのため資料が必要になる。まずドラマ有りきではない。設定とは機械の設計図のようにドラマを作るためのもの。サンライズ作品は設定主義に貫かれている。ガンダムの場合は、同人誌や二次創作、MSVのようなものを通じて設定主義がフィルムをはみ出して世界を実質的に増殖させ作り始めたことがロングセラーの秘密ではないか(2)。
・安彦氏のキャラデザインは、そのキャラの性格・人格の反映・歴史・バックグラウンドへの想像を掻き立てるものである。当時の氏の立場として、脚本を読み、監督のコンテを見て不明点があればすぐ富野監督に聞くことができたというのが大きいのではないか。記号的アニメキャラから脱却して、まさに人を描いている。Zでは、ただデザインしかしていないため違和感がある。ジャングルでトレンチコートを着ているカイ・シデン!
・世界観(舞台設定)の構築方法が練りこまれていること(ステージングとディレクションの妙)がガンダムの戦争に説得力を感じさせる一因。Z以降はピンとこないのは、世界観が当たり前になっているからか。
富野監督は虫プロ出身だが、ガンダムの根っこにあるのは、タツノコ的悲壮感。これと「アルプスの少女ハイジ」や「母を訪ねて三千里」的なものが合体することでガンダムはできている。
・第13話の中で特にセイラ、ミライ、カイ、アムロの海岸での会話の場面のコンテと台詞を基に富野監督の演出法を解析。最終テーマに向けた伏線の張り方と情報量の多さ。性格を酌んだ台詞回しがリアルさを感じさせる。
・ニュータイプ論は物語のシンボル。二重構造になっていることを理解すべき。人類が予知能力を持ってという未来を信じているわけではない。明るい未来を描いた作品ではない。ニュータイプの感応はメンタルセックスではないか。アムロとララァがいかに共感したとしても、シャアと寝ているララァはアムロを選ばない。バーチャル礼賛ではない。むしろ逆(2)。人の革新=アニメの革新。実写から捨てられた富野監督が、斜陽になっていく映画界を尻目にアニメの方で自由に作品を作ってみせたということ。
・リアルタイムで劇中使用曲を交響曲などに加工せずにキングから提供されたという点でも革新的であった。
(1) 本放送時に名古屋地区では他地区より視聴率が上で水準以上の数字を出していたし、打ち切りのきっかけを作った当時のスポンサーであるクローバーもGメカのクリスマス商戦でのヒットから打ち切り決定後に延長を申し入れていることからも同時代的なヒットはあったということが窺い知れる。
(2) 同人誌『Gun Sight』とそれをまとめた『Gundam Century』がその走りであろう。これがMSVを生み出し、MSVのヒットがZを生み出すことになる。
(3) 監督自体たびたびこのような発言をしていることからもそれは判る。