宇宙世紀0090年代、一年戦争に端を発した戦乱は、第1次ネオ・ジオン抗争終結と同時に終わったかに見えた。しかし、難民問題等多数の問題を抱えながら議会は政争に明け暮れ、抜本的な対策は何一つとしてとられることはないまま、火種は燻り続けていた。地球連邦政府の地球偏重政策は、その比重を増し、景気回復の見込みは立たず、増大するインフレと慢性的な経済不況打開のめどは立たなかった。増大する社会不安等により生みだされたフラストレーションが、ある飽和点を突破した時、再び嵐が吹き荒れた。第2次ネオ・ジオン抗争の始まりである。
第1次ネオ・ジオン抗争終結とともに分裂した「アクシズ」は、新たな指導者をいだき、地球圏各地に潜伏して、時が来るのを待っていたのだ。当然、新たな闘いのためにMSの開発は細々とながら続けられていた。第1次ネオ・ジオン抗争時に開発された機体の研究は続けられており、操縦系等に改良が加えられた。第2次ネオ・ジオン抗争において、連邦軍を苦しめた、AMS-119 (ギラドーガ) も、第1次抗争時にガルスJの開発班によって開発された機体、AMX-112を原型機としている。
「ネオ・ジオン」の再興が、シャア・ダイクンの名とともに再び膾炙されはじめた頃、AMX-112は、AEに持ち込まれた。グリプス戦争時に開発された機体で、連邦軍が入手する事が出来たMSは、サイド7のグリーン・ノアTの技研で評価された後にAEに送られてきていた。しかし、AMX-112はそのデータの中に無く、AEはその機体に関心を示し、連邦軍には知らせず研究の引き継ぎと継続を確約した。AEにより、AMX-011とRMS-108のコンセプトをAMX-112に集約させ、最終的に現在知られている量産バージョンにたどり着いた[1]。0090年に完成を見た、「ネオ・ジオン」軍唯一の量産機であるこの機体は、MS-06から連綿と続くジオン系MSの流れをくむ、正に今までのザク系MSの集大成ともいうべき機体となった。AMS-119の設計思想は、0079〜0085年頃の大勢を占めていた考え方に近いものであり、「MSは、汎用性の高い機動歩兵である」という主張が、そこには表れている。また、武装及び機能の点では、MS登場後の20年間の技術向上が随所に生かされていた。
しかし、「ネオ・ジオン」軍の中核となる機体として実戦配備され、運用されたこの機種も恐竜的進化を続ける時代の流れの中にあっては、時代遅れの感は否めなかった。しかし、「ネオ・ジオン」には、もはや新たな量産機を開発する余力は残っていなかった。