History of ZAKU

【重力の底】

話を少し元に戻そう。

0077年2月にジオン公国国防省は地球開放作戦用のMSの開発をZEONIC社に命じた。本来MSは、重力下の戦闘にも対応するように設計されており、事実、月面やコロニー内での模擬戦闘でも充分な性能を示している。だが、生産性等を考えるならば、宇宙用の装備は高価で、地上ではデッドウェイトになりうるため、ジオンの国力を考えると陸戦仕様機はどうしても必要であった。

最初は06C型をベースに、後には06F型をベースとして、冷却システムを冷却剤を必要としない空冷式のものに換装し、さらに宇宙戦用装備の一切を除去した06Jタイプが生まれた[1]。尤も、ジオン側は、この時点では、ブリティッシュ作戦による「コロニー落し」によってジャブローの連邦軍司令部を壊滅させるという前提に基づいて開発を指示しており、MSはあくまでも拠点制圧後の防備用の物という意味あいでしか求められていなかった。従って、 地上におけるMSの移動速度はそれほど考慮に入れられていなかった[2]

中央アジア、北米を中心に上陸を開始したザクは、連邦地上軍をほぼ壊滅に追い込む一方、その工作力をフルに活用して驚異的な早さでSL(大質量強襲可帰還揚陸艇)やHLV(重量物発射装置)の発射台や、地上兵力の組立工場を建設していった。MSの万能性は遺憾なく発揮されたのである。

このJ型と、J型をベースに、前述の意味あいの下に開発されたMS-07 (グフ) が当初のジオン地上戦力の主力となった。更に、「ブリテッシュ作戦」及び「第2次ブリテッシュ作戦」の失敗によって、地球全土へと戦線が拡大していくにつれ、06Jをベースにして各種の局地戦にあわせた様々なバリエーションが生み出されていった。極寒の地、熱帯の密林、砂漠、水中と、一年戦 争の戦場でザクが参戦しなかった場所はないといっても過言ではない[3]

ザクのバリエーションタイプについて詳述することが本稿の目的ではないので、それについては、いずれの機会に述べることにしたい[4]

[註]
[1]
その後、地球上でのMS製造拠点が出来るとともに、純粋な06Jが順次生産されていくこととなる。
[2]
MSの移動力向上を目指し研究は続けられた。ZEONIC社は、MSに飛行能力を付与することで、ZIMMAD社は、熱核ジェットエンジンの装備により地上での移動速度を向上させることで、解決を図ろうとした。だが、双方ともなかなか成功せず、MIP社のMOBILE ARMOUR (MOBILE All Range Maneuverbility Offence Utility Reinforcement=全領域汎用支援火器) や、ド・ダイYSなどのサブ・フライト・システムが発達することになる。熱核ジェットエンジンによる高速移動は、MS-09で結実し、その後の地上用MSに大きな影響を与えた。なお、ザククラスの全高を持つMSが本格的に単独で大気圏内飛行能力を有するようになるには、その約8年後、0087年のRX-160 (バイアラン)誕生まで待たねばならなかった。なお、MS-07H8が東南アジア戦線において飛行したのを見たとの証言もあるが、写真等の記録類が残されていないため真偽の程は不明である(テープ1)。
[3]
型式番号がわかっているものには、砂漠戦用D型、地上用改良型G型、中距離支援用K型、水中用M型、マゼラアタック戦車と組み合わせたV型などがある。また、それ以外にも現地部隊で改良されたバリエーションが幾つも確認されている。たとえば、Mジャ492号12頁には、「MS-06W」 として、MS-05の上半身に、腰部装甲を取り外し、防塵対策を施された06の下半身を持ち、右手にシャベル状のシールドを有する機体の写真が載っている。しかし、実際には、MS-06Wとつく機体は、これ以外に確認されておらず、またW型として承認されたという記録も見つかっていない。 [4] バリエーションについては、専門の研究サイト「ZAKU PAGE」を参照するとよいだろう。
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