History of ZAKU

【最後の06】

1年戦争も中期に入る頃から、各種の局地戦用バリエーションや、局地戦にあわせた新型開発機が前線に投入され始めた。汎用機としては優秀だったザクも、徐々にその姿を戦線から後退させていく。更に、連邦軍製MS[1]の登場が拍車をかけたとも言えよう。

しかし、工業資源についてはある程度の確保がなされていたとはいえ[2]、工業生産力ではるかに地球 連邦に劣るジオン公国は、自軍の新型機を全軍の戦線に全面的に投入することができず、今や第一線を退きつつあるザクタイプを相変わらず主力機の一環として残さざるを得なかった。また、対費用効果を見たときに、ザクのコストパフォーマンスが高かったこともザクの生産が続いた理由として挙げられるだろう[3]

MS-06F2の導入によって、どうにか開戦当初の06C、Fなみに保たれていた新兵たちの被弾率が、パイロットの質の低下と相まって、ひどく低下し始めたことに危機感を強めた公国軍とZEONIC社は、今までの新型開発機のデータをフィードバックし、06F2のチューンナップを実行して、それをくい止めようとした。そのような事情の下で生まれた機体が、MS-06FZ[4]である。総推力は、F2型に比べ70%増しになっているが、推進剤の総量はほぼ変わらず、戦闘最大推力時の限界時間は半分に落ちてしまっている。また、主武装も従来のMMP-78型マシンガンに変わり、MS-09系と共用のMMP-80型に一新された。F2型をベースとしているが、細部にかなりの改修をほどこされ、装甲もかなり強化されている。しかしながら、ここでも前章で述べたのと同様の悲劇が待っていた。すなわち、ジオンに残されたパイロットは実質上、学徒兵か予備役上がりが殆どになっていたのである。いくら基本性能がよく、MSを扱うのが初めての者でも使いやすくなっているとはいえ、短期間で前線へ送りだされていった彼らは、徒に命を宇宙に散らしていったのである。

0079年10月より生産が開始されたFZ型は、ザク量産型の一年戦争における最終生産型となった。

[註]
[1]
実戦に投入されたのはRX-75(ガンタンク)、77(ガンキャノン)、78(ガンダム)の3機が最初である。中でもガンダムは比類なき強さを見せ、ジオ ン将兵からは「白い悪魔」と恐れられた。その戦果故に後に「ガンダム神話」とでもいうべき、ある種信仰に近い考えが生まれることになる。各機はそれぞれ量産され、ガンダムの量産型であるRGM-79(GUNDAM type Massproducts modelの略からGMと呼ばれる)は、ジオンのザク同様に伝説的 なマシンとして歴史に名を残すことになる。
[2]
地球における資源採掘の指揮・監督にあたっていたマ・クベ大佐は、オデッサ戦の前までにジオン本国に送った鉱物資源だけで「ジオンはあと10年は戦える」と語ったという (ファン0092年3月11号84頁以下等参照)。
また、ジオンは、アステロイドベルトに資源採掘用小惑星アクシズも擁していた。マ・クベ大佐の言葉が示すように、地球連邦対ジオンの「衝突」は、その20年後、0099年に「ジオン共和国」が自治権を放棄するまで続くこととなる。
[3]
MS-06は、1年戦争終戦後も様々なバリエーションを展開しながらジオン系組織により生産が続けられていく。
[4]
実機の確認数は非常に少なく、現存する資料もまた少ない。06FZの最終生産数は82機と言われている。形式番号は、研究者によっては、MS-06F3とする説もあるが、本稿では、多数説に従った。
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