History of ZAKU

【誤算】

1週間戦争・ルウム戦役という先の2度にわたる戦いにおいて無数のザクとともに優秀なパイロットの多くを失ったジオン軍は、地球侵攻作戦実行のため多数のザクを地球上に降ろした。この時点でのジオン軍の戦力低下は誰の目にも明らかであった。戦局の膠着によって、かろうじてジオンが制宙権を把握していたにすぎなかったといってもよいだろう。特にパイロットの質的低下は著しく、ロケット燃料をすぐに使い果たし、戦闘能力を失う者が続出した。この事態を非常に憂慮した軍部首脳たちはこれ以上兵力が削がれることを恐れ、起動力を増した次期主力汎用MSの開発をZE0NIC社に暗に提案した。

しかしながら、この時点でのZEONIC社の生産ラインの大部分は地球侵攻作戦用の局地戦用MSのために振り分けられており、またMS-06Fが非常に完成度の高い機体であったため、ZEONIC社の方ではこの軍部からの提案を真摯に考えていなかった節がある。(今までにも一部の要請に応じて、機動性の高いモデルは存在した。推進エンジンの出力を3割近く向上したSタイプがそれである。しかし、あくまでもそれは上級者向けであり、次期主力たりえなかった)。

つまり、ZEONIC社側にはパイロットたちの提案をいれ機体の改良を続けた結果、MS-06Fは、その当時としては、もっともコストパフォーマンスのよい機体だとの自負があり、(まだ改良の余地があるとしても)ハードの問題というよりも、むしろ、ソフトの問題と考えていたようだ[1] 。このことは、MS-06用OSやシミュレーターの制作を改めてエイヴォス社に発注している事からも窺える。

こうして、地球侵攻作戦が始まる頃、若干の機体の軽量化を施し、総推力を20%程増加させ、さらに機体制御に関してソフトによるサポートの度合いをMS-06Fより増やしたMS-06F2がようやく誕生することになる。

MS-06F2の導入によって、新兵たちの被弾率が、MS-06Fに比してある程度まで低下した[2]ことで、軍部は06F2の性能にある程度満足を示しはしたものの、戦略自体の変化から、更にF型に代わるモデルをも求めた。

こうした状況下、ザク本体自身の性能向上を計るために、エンジンの推力を約 1.5倍にアップさせ、増速用ブースターを設けた、所謂「ザクU」として知られるMS-06Rは誕生したのである[3]

06F2を基に改修されたRタイプの試作機(MS-06RP)2機は、月面都市グラナダに運ばれ、各種テストへ供された。Fタイプとの相違点は、バックパック、脚部のサブスラスター及び腰部のインテグルタンクの大型化に見ることができる。テスト機に用いられた新型のエンジンZAS-MI14は1、2号機の物とも良好であった。ZEONIC社から出向軍属として当初よりザク開発の計画に参加しているエリオット・レム少佐[4]によってテストは2週間に渡って行われ、高機動飛行テスト、マニュアルプレート操作時の機体保持テストでは、機体の性能の高さを関係者に認識させた。

MS-06R1A
MS-06R1A
[NAKAGAWA,Masaya use]
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約1ヵ月に渡りテストが繰り返された結果、0079年4月に量産が決定したものの、エンジンの出力増加による不良問題が相次いで起きたことも手伝って、先行型に等しい22機のみが製造されただけで、量産計画は中断された。

ロールアウトした機体は、実戦テストを兼ねて本国防衛隊を含む各要塞基地やパトロール艦隊へ配備された。但し、開戦当初からの作戦で優秀なパイロットを多数失ったことが、この時点で大きな影響を残しており[5]、高機動型として開発されたRタイプを扱いきれず、燃料配分を誤る者が続出した[6]

機体自体はベテランパイロットによって高性能が見いだされたものの、もはやFタイプの上級機というよりも、ほぼ別の機体といってよいほどになってしまったRタイプを実働させるために必要な条件は複雑化し、低価格、簡便性を欠いたため、本格的な量産計画は再開されることなく廃案となった。しかし、上級パイロットたちからの評判は極めて良く、生産ライン上の機体が全て軍に引き渡された後は、各指揮官、上級パイロットからの申請により受注調整の形で彼らに1機ずつ引き渡された[7]

[註]
[1]
しかしながら、0083年に生じたデラーズ紛争の際に、ほとんど何らの改修も受けていないFタイプが、連邦のRGM-79系と互角かそれ以上の戦闘をしている事実から見ても、やはり、パイロットの質が問題だったのであり、ZEONIC社のとった方策は正しかったと言えよう。
[2]
新兵の被弾率は殆ど変化しなかったが、古参兵の被弾率はある程度まで低下した。
[3]
MS-06Rタイプの比類なき戦果故にMS-05を“旧ザク”MS-06Rを“ザクU”R型以外の06系を“ザク”と、いつしか前線では呼んでいた。
[4]
彼は「S.U.I.T.」プロジェクトのZEONIC社側のスタッフとして、MS-02〜06までのMS開発に係わっている。終戦後は、地球連邦総合大学の教授となったが、後にZEONIC社を吸収したアナハイム・エレクトロニクス社の所属となり、連邦軍グラナダ技研に出向し、RMS-106〜108(後述) の開発にも携わっている。
[5]
一角鬼の異名をとる、元公国軍中尉中川雅哉(なかがわまさや)氏の『…ルウム [戦役] の時にこれ [06R] があれば、あれ程の犠牲は出なかっただろう…』([ ]は筆者が補ったもの) という言葉にそれは端的に表れている。(テープ3)
[6]
作戦行動時間はパイロットの技量によっては、従来のFタイプ以下となった。この問題を解決するために背部及び脚部の燃料房が簡易カートリッジ化された。こうして、実戦テスト中に設計改修して製作された機体をMS-06R1Aと呼ぶ。この設計改修のため生産デッキ上の06R1の内13機がR1A仕様に変更されることとなった。
[7]
【白狼】末永晨(まつながしん)大尉、【一角鬼】中川雅哉中尉、【グレイグリフォン】エリック・マンスフィールド中佐、A・ガイア大尉麾下の特務小隊【黒い三連星】など、拝領者には、エースパイロットとして知られる錚々たる顔ぶれが名を連ねている。
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