History of ZAKU

【開戦】

MS-06Cの生産は0076年12月にスタートする。キンツェム事件[1]やサイド6革命[2]等の実戦を通して、MS-06Cにはさらに改良が加えられ、MS-06Fとして、より完成された形へと近づくことになる。こうして誕生したMS-06Fの量産は0078年1月に開始され、逐次Cタイプから転換が計られていった。公国軍は、この時点より本格的な戦時体制へと移行していくのである。

MS06F
MS-06F(画像クリックで詳細表示)

0079年1月3日、地球標準時7時20分。ジオン公国は1年以上前から予定されていたこの日に、地球連邦政府に対して、宣戦布告を行った。俗にいう「三秒間の布告」である。

艦艇数において遙かに連邦軍の方が優勢であった[3]が、その差をジオン軍はMSの能力ではね返そうとし、またそれを実現したのであった。十分な訓練を積んだパイロットたちは、皆優秀であり、連邦軍艦艇からの攻撃の合間をぬって接近し、それらを次々と葬りさった。連邦艦艇の対空機関砲による応戦も、宇宙空間用戦闘機と比して格段の重装甲をもつザクの前には殆ど何の効果もおよぼさなかったのである。

また、ザクの形状が人間に近かったことがジオン軍にとって有利に働いた[4]。大気によってぼかされず、対照物の少ない宇宙空間では、距離感や物体のサイズの把握が極めて困難であり、このためザクによる攻撃を新型ノーマルスーツやパワードスーツを着用した宇宙歩兵による奇襲と誤認した連邦兵が続出したのも当然のことであった。対空機関砲の弾丸をはね返し、一撃で艦艇を葬りさる歩兵の正体が、予てから噂のMSであることを悟り、的確な反撃を加えるまでの間に、数多くの尊い人命が失われていった。

開戦と同時に多数のコロニーを破壊し[5]、連邦軍艦隊に大打撃を与えたジオン軍は、勝利を決定的なものにすべく「ブリティッシュ作戦」[6]、すなわち、戦史史上最も悪名高い「コロニー落とし作戦」を開始した。

MSのもつ工作性をフルに活用して、占拠したスペースコロニーに若干補強を加える。そして、核パルス推進システムを敷設し、これを地球への降下ルートへのせるというこの作戦において、ジオン軍は大規模な布陣を敷いたうえに、ザクの行動時間を延長するために、巨大な冷却剤およびロケット燃料のタンクを背負う形で使用した。そのため、その機動性を著しく低下させてしまったのである。

直径 6.4q、全長40qにも及ぶ金属塊が地表へ激突するという事実は、真に震撼する恐怖であったが、これでは、連邦艦艇の攻撃下、的となるのも当然で、多くの兵力を徒に削ぐこととなった。

同年1月15日、「ブリティッシュ作戦」の失敗を知ったジオン軍は、ジャブロー破壊を再度行うべく、サイド5-11バンチに狙いを定めた。「ブリティッシュ作戦」の再開を阻止するために、ある程度の立て直しがかなった連邦軍は、史上最大の艦隊戦をここに展開した。これがルウム戦役と呼ばれる一大攻防戦であることは周知の事実である。

この2度に渡るコロニー落とし作戦において、作業中に撃墜されるザクは後を断たず、優秀なパイロットが次々に失われた。このことが後に続くジオンの悲劇を生み出すことになろうとは、この時点においては誰に予測ができたであろうか。

一週間戦争、そして、ルウム戦役、この2つの戦闘でジオン、連邦、両軍は潰滅的な打撃を被り、戦局は膠着化する。その後の1月31日の南極条約の調印により、核・BC兵器等の使用は禁止となり奇襲戦用汎用兵器ザクは、活躍の場を失った。これによって、兵力の再蓄積が明確化し、MSはあたかも旧世紀の第2次世界大戦中の航空機の如き発展経過を歩むことになる。つまり、本来汎用機として作られたザクは、大量作戦の生じえない時点で少数精鋭化へ進み、機体自身はより高機動化の方向をたどっていくのである。

[註]
[1]
0077年3月15日、サイド3-25バンチのコロニー「キンツェム」は、ジオン公国の対連邦政策に公然と反旗を翻したが、公国軍は武力を以てこれを鎮圧した。この際、史上初めてMSが実戦に投入された。逮捕者は判明しているだけで 281名を数え、26名が起訴された。そのうち24名に死刑判決が下り、公王の意向として半数を無期懲役に減刑の上、12名が死刑に処されたという。その結果、サイド3の言論界は一時窒息状態となった。
[2]
0078年7月9日、サイド6における知事選挙において、反連邦的と目されたランク候補が当選を果たしたが、彼と、前知事のマクドウェルの得票差が僅差であったため、両候補の派閥間で激しい争いが起こり、暫く選挙管理委員会が当選者の告示をしないという異常事態になった。この際にランクは公国軍に援助を求め、公国軍が軍事介入するに及んだ。
比較的穏健派と見られていたサイド6で親連邦的でない政権が樹立したことは  他のサイドや連邦政府にとって、非常にショッキングな出来事であった(この事実は、巧妙に情報操作されていたため、公国軍の軍事介入の事実は長らく公にされなかった)。
[3]
両軍の開戦時の保有艦艇数(ジェーン年鑑0081年版を参考に作成)
公国軍 連邦軍
戦闘用艦艇×179 戦闘用艦艇×1185
特務艦艇×85 特務艦艇×262
特設艦艇×110 特設艦艇×338
雑役船×240 雑役船×740
[4]
この他に「ザク」のカラーが、ジオン軍のノーマルスーツのカラーに酷似していた事も連邦将兵に災いした。
[5]
宣戦布告より40時間余りで約28億人が死亡。サイド1、2、4の3つがほぼ壊滅状態に陥った。最終的に0079年1月3日〜10日迄の「1週間戦争」で、約55億人(これは当時の総人口のおよそ半数にあたる)が死亡した。
[6]
公国軍はこの作戦を、旧世紀に植民地を失いその力を弱めた大英帝国に準え、こう称した。その際、作戦開始に当たって公国総帥ギレン・ザビは『母なる星を汚し、地上より宇宙を見下す愚民どもに対する、これは裁きの刃である。選ばれし我等が、神にかわりて放ち賜うメギドの火に、彼らは必ずや屈するであろう』と演説したという(Time0079年1月29日号「コロニーが落とされた日」)。
top