History of ZAKU

【駆け抜ける嵐】

 連邦軍は、0085年10月に連邦軍教導団の拠点とした後も、1年戦争後ジオンから接収した小惑星ペズンのMS開発機関において、引き続きMSの研究・開発を行っていた。 エウーゴ対ティターンズの抗争[1]が始まったのとほぼ時期を同じくして、こうした環境を生かし、ジオン系技術陣による「次世代のザクシリーズ」が計画され、MS開発プロジェクトがスタートした。MS-06のコンセプトを踏まえ、終戦後のRMS-106のバランス性・操縦性を受け継ぎ、かつ、時代が要求する各形態に準ずるべく換装可能な素体としての汎用MS。それが、ザク・シリーズに代わる新シリーズ、「ゼク」シリーズである。

このゼク・シリーズ最初の機体がRMS-141 (ゼクアイン) である。RMS-141は新世代の汎用MSというコンセプトで設計されており、充分出力に余裕のあるジェネレーターで最初から大量のオプションを積んで使うMSとして設計された。ムーバブル・フレームは単純で無骨な構造であり、様々なペイロードや、ハードな運用に耐える信頼性の高いものとなっている。エネルギー・ポートや可動部はやたら設けないようにし、装甲はコクピット、股間、胸部に重点的に施されている。また、バーニアやスラスターはなるべく剥き出しにならないようにレイアウトされていた。このように、どれをとっても革新的な点はなく、オーソドックスな技術の集合であった。しかし、武装やその他のオプションはこれ迄になく豊富で、各種装備の変換のみでも多目的用途に十分耐え、専用MSなみの機能を発揮し得た。ゼクアインは、戦技教導団のパイロットたちに高く評価され、ゼクツヴァイやゼクドライ等の新しい方向を示すプランが進められた。

汎用性を追求したゼクアインであったが、続くRMS-142 (ゼクツヴァイ) は、路線変更とも言うべき恐竜的進化形態を持つMSであった。これはどちらかと言うとゼク系の異端児であり、パイロットの極限能力に合わせたポテンシャルを有したMA的MSであった。旧ジオン公国軍が、このクラスになると、性質上、物理的限界を超えていると判断し、むしろMAの設計に熱心だったのと対照的である。ゼクツヴァイはMSとして重武装と機動力の究極の両立を目指した機体であり[2]、その運動性は外観に似合わず、とても150t級のMSとは思えぬほど軽快であった。熟練の中隊長級以上のパイロットへの配備を前提とした開発条件の下で誕生し、その本来のゼク系コンセプトを視覚的にも反映させた機体は、ゼクドライ[3]に受け継がれている。しかし、ニュー・ディサイズによるペズン事件でペズン基地が崩壊してしまったため、ゼク・シリーズのプロジェクトは中断されてしまった。

[註]
[1]
当初は、権限を拡大し、軍警察化しつつあったティターンズと反地球連邦政府運動の集合体(といっても彼らは、改革を求めてはいたが、連邦政府そのものの解体を唱道していたわけではないことに注意)であるエウーゴの対立であった。しかし、その対立はやがて連邦軍内部、ひいては連邦政府議会にまで飛び火し、後々まで様々な禍根を残すことになる。なお、その対立構造については、『ティターンズの1542日』月刊シュツルム編、LED書房 (0091)等に詳しい。
[2]
デラーズ紛争当時、デラーズ軍の大型MAと巨大な武器コンテナを積んだユニットと組み合わせて運用されたガンダム・タイプMSが白刃を交えているのを見たとの複数証言を筆者は得た。そうなると、0083年頃(あるいは1年戦争終結後)から連邦軍では、対MA戦を視野に入れたMS運用計画が存在したことになる。しかし、現時点で公開されている公文書には、そのようなMSの存在を証明する書類はなく、証言者の語るガンダム系MSの形状も各々大きく異なっている。
[3]
ゼク・ドライは、ゼク・アドバンスドとも呼ばれ、試作機数体が制作された。しかし、地球至上主義者達の影を払拭したがっていたエウーゴ主導の連邦軍は機体の優秀さを見ることもなくその採用を却下した。
top