公国軍から実戦用MSの正式発注を受けたZEONIC社では、まず機動性能の向上を追求したMS-02を改めて試作、何度か機動実験等を行ってデータ収集を行った後、0073年6月に装甲の強化・耐G性能の向上等の改良を施した実戦用MS、MS-03の第1号機をロール・アウトさせた。ジオン軍の期待を一身に集めた同機ではあったが重装甲化などにより自重が48Tから53Tにまで増加したため、機動性能はMS-02の6割にも満たないというありさまであった。これでは、到底軍部の要求してきた条件を満たすことなどできず、予備機として残されていたMS-03の3号機は徹底的な改修が図られることとなった。脱出用のシステムは廃止され、ボディーの軽量化が行われた。様々な改修にもかかわらずMS-03の性能は未だ不十分なものであった。
同じ頃、エンジンメーカーのZAS社では、ミノフスキー物理学を応用した新式の超小型熱核反応炉の試作品ZAS-X7が開発されていた。この反応炉はMS-03のものよりも2割以上も軽く、出力は2倍以上という高性能であった。
ZEONIC社では、急遽この新型反応炉を搭載するためMS-03の設計を全面的にやり直し、新たにMS-04を完成させた。反応炉の出力増に伴う冷却システム強化の必要から、MS-04の自重は57.4Tにまで増加した。しかし、その性能は目ざましくMS-02を遙かに上回る高性能を示した。
0074年2月には、MS-04をベースに細部の改良を施した実戦用MSのプロトタイプYMS-05が完成する。ZAKUと名付けられたこのMSの全高は18Mに及び自重は50Tであった。
エンジンにはZAS-MI8Aが使用され、熱核反応炉の冷却には、宇宙空間では化学燃料ロケット用の液体水素が、大気中では空冷システムが使用された。
また、操縦は高性能コンピューターの開発により、機体の重心付近に設置されたコクピットに搭乗したパイロット1名のみによって行われるようになった。このコクピットに窓は一切なく、視界は総てTVモニターに頼っていた。
大口径TVカメラの他、レーザー及び赤外線探知システムを収納する単眼はMSの頭部に設置され、回転タレットにより180°旋回し 260°にわたる走査が可能であった。また機体各部には12基の補助カメラが装備され、全周視野を確保していた。
宇宙航行用には化学燃料ロケット2基が使用された。このエンジンの全開時には10T余りの液体燃料が約27秒間で消費されてしまうため、その使用には高度の熟練が必要とされていた。
ザクの使用する主力兵器は 105oマシンガン型大型砲と240o核弾頭装備のバズーカ型ロケット砲で、これらは人間の使用する兵器を金属の単結晶技術の成果によりMSの規格にまでほとんどそのまま拡大したしたものである。このためマシンガンやバズーカの分解・組立整備や弾丸の装填作業は(もちろん総てが、とまではいわないが)ザク自身の手によってすら可能であった。
新型エンジンにありがちなトラブルも少なくYMS-05のテストは順調に進み、0075年5月には試作型に細部の改修をおこなった、実戦型MS-05が発案以来5年の歳月を経て完成を見たのである[1]。
そして、同年7月に国防省はMS-05の量産を決定し、11月にはキシリア・ザビ大佐の指導による教導機動大隊が先行量産型(MS-05A) 27機によって編成された。
教導部隊とは、MSの操縦テクニックの開発・戦術研究とその成果を一般の部隊のパイロットに指導するための戦技教官を養成するための組織である。特に公国軍の教導部隊は、史上初のMSの教導部隊として、パイロットの育成と同時にMSの運用、戦術を確立させたのだった。
ザクのパイロットには、宇宙空間での戦闘機としての使用・コロニー内および地球上での陸戦、さらに低重力帯での作業等、様々な条件下での操縦を単独で行う能力が要求された。このため、パイロットの人選はきわめて慎重に行われることとなった。
当時人選を行った関係者の一人で元大佐のジェイム・アーヴィングの著書『夜を支配するために』によると[2]、「対象者はテストパイロットに限られた。軍の各テストパイロット学校の過去10年間の卒業生総てのファイルが引き出され、年齢39歳以下、身長195p以下、飛行時間1500時間以上、理工系の学士以上の学歴といった基本条件を満たす者、648人がまず選抜された。これをさらに厳正な書類審査で311人にしぼった。
次にこれらの者の軍歴と病歴の詳細な書類を取り寄せて、109人にしぼった。これらの人々にある日、理由も告げず、ただ軍の極秘命令として国防省に出頭することが命じられた。そして面接試験がおこなわれ、74人にしぼられた。この人々に対して、徹底的な身体検査、心理テスト、ストレス・テスト、肉体能力テストがおこなわれ、成績上位者36人が残された」とある。
こうして編成されたエリート部隊は、訓練用の開放型コロニーや月面都市グラナダ周辺を演習場として、大がかりな訓練をおこなった。
中でもマスドライバーから射出される高速度の岩石を回避し、あるいは攻撃する訓練には高度のテクニックが要求され、少なくとも6機以上のザクTが失われ死傷者は10数名に及んだといわれている。
かくして、MSパイロットの養成は犠牲を生みながらも着実に進められていったのである。