History of ZAKU

【連邦の敗北】

1年戦争及びデラーズ紛争は連邦軍の勝利に終わった。しかし、MS開発技術については、必ずしもそうとはいえない。客観的に見て、ジオン軍が1年戦争終結間際に繰り出してきたMS群(MS-11、14等)は、スペック的には連邦のRX-78よりも高性能であった。MS総保有数が連邦の方が多かったにもかかわらず11や17を(多少の改修は施したものの)量産したことからもこの事は窺い知ることが出来る。

ジオン軍は、柔軟な発想で兵器開発に臨んでいた。それに対し、連邦軍は新しい兵器体系に対応が遅れた上に、上層部のミノフスキー粒子散布下の状況に対応する兵器に対する理解がなく、開発によい環境ではなかった。1年戦争終結後、連邦軍は、地球圏に取り残された公国軍のMS等に関する研究・開発資料や施設及び、技術者を次々と接収し、積極的にそのノウハウを取り入れた[1]。そして、戦時中ジオンのMS開発の中核となっていたZEONIC社を解体、アナハイム・エレクトロニクス (以下、AEと略す)に吸収 (表向きはAE社がTOBをしかけて買収したことになっている)させた上で、ジオン共和国本国からスタッフを連行し、グラナダに研究施設を設立した。これは連邦側が技術的敗北を事実上認めたということであり、後の連邦系MSの流れを大きく変え、新しい流れを呼び起こすことになる。

戦後数年は連邦軍と公国軍の技術上の融合期であったといえよう。両軍の間にはMS開発姿勢の違い、そして、それ以上に技術力の徹底的な格差が存在したため、この穴埋め作業とその融合には長い時間を要した。

両軍のMSのコンセプトを融合させた連邦初の量産機RMS-106 (ハイザック) は0084年7月にロールアウトした。RMS-106は、ZEONIC社系技術陣の手による[2]06系の集大成的な機体であり、機動性・運動性の他、火器や、オプションも充実した非常にバランスのよい機体であった。しかし、性能的には目新しい所は特になく、ビームライフルを標準装備しながらも、技術的な問題から、前期生産型ではしばらくMMP-78及びMMP-80型120oマシンガンの改装型を装備していることが多くかった。本機の特筆すべき点としては、連邦軍の量産型機で初のリニアシートシステム[3]が採用されたことである。79年末頃から試験的に使われはじめたこの操縦システムは、この時点では未だ完成されたとはいえなかったが、従来より視界が向上し、操縦性は極めて高いものとなった。翌0085年4月には全天周囲モニター方式の新型リニアシート量産の条件が整い、在来機種は逐次このシステムに換装されていく。

[註]
[1]
グラナダ条約後の武装解除にあわせて、多くのMS-06F系を始めとする公国軍の機体が連邦軍に接収され、アグレッサー機等として使用された。これによって連邦軍は技術の遅れを取り戻し、MSは連邦とジオンの技術を融合させた新しい段階を迎えることになる。
[2]
前述の通り (前掲「誤算」註4)、エリオット・レム等がRMS106〜108の開発にも携わっていることから、ジオン製ではないにせよ、ハイザックもまた「ザク」の正当な血をひいていると言えよう。それにしても、地球至上主義を掲げていたティターンズおよびその支持者達が、ザクタイプを主力機として使用していたとは、何とも皮肉な話である。
[3]
リニアシートシステムは、0079年10月にAE社の手により完成した。翌月には 360°全天周囲モニター方式を採用した新型リニアシートが完成し、RX-78-NT1が同新型の初の標準装備機となった。RX-78-GP03にも同型のものが装備されていたようだ。しかし、それらには、イジェクション・ポッドとしての機能は組み込まれていなかった。それらを組み込んだタイプを標準装備した最初の機体は、ハイザックということになる。
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